ナイン・マイルは遠すぎる

THE NINE MILE WALK

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価値と真実のコイン(体験版) 

以前もお知らせさせて頂きました通り、10/16にあるイベント"東方紅楼夢"で私たちは『東方経済学入門Ⅰ』という同人誌を売ります!
その中で私は小説を書かせてもらいました。人生初小説ですよ。まさに処女作、処女航海。
処女喪失ということで産みの苦しみも並大抵ではなかったのですがおめでとうございます、元気なお子さんですよ。ヒッヒッフー。なんかしゃべればしゃべるほど宣伝としては逆効果になりそうなので本編いきましょう、ハイ。

秘封小説ということで舞台は未来、未来のアレやコレやを想像するのが特に楽しかったです。逆に大変だったのは締め切りです。お風呂で考えてお風呂上りにウオーッと書く手法でなんとか頑張りました。

それでは読んでください!私の人生初小説!「価値と真実のコイン

             *       *       *

1

 宇佐見蓮子はコインを投げている。
 澄んだ音を立てて舞い上がったコインは、教室中の視線を集めながら宙を舞い、蓮子の手の甲と手の平の間に収まった。
 このコインが表を上にしていれば蓮子の勝ち、裏が上なら負けだ。そして……果たして結果は、負けだった。

「どう、七百円のチョコレートの味は?」
「格別ね」
 メリーのいやみに、蓮子はきゅっと片目を瞑って答えた。そして、
「……だって、期待値は無限大だもん」
 と言って口を尖らせた。
 蓮子がプレーしたゲームは、いわゆる「サンクトペテルブルクの賭け」と呼ばれるものだ。コインを投げ、一回目で裏が出たらチョコレートを一個もらえる。一回目で表が出たらもう一度コインを投げることができる。そこで裏が出たら、チョコレートを二個もらえる。しかしそこで表が出たらもう一度コインを投げることができ、今度は四個、そして表が出るたびにもらえるチョコレートの数は倍々になっていく。つまり、裏が出るまでに表が出た回数をn回とすると、二のn乗個のチョコレートをもらうことができる。
 蓮子が言う「期待値」とは、このゲームに登場する全てのパターンにその発生確率をかけたものの総和、つまり「無限回プレーしたら平均的にこのゲームで何個のチョコレートをもらえるか」というものだ。
「私もちょっとは考えたけれどね」
 1/2の確率でいきなり裏が出て、チョコレートは一個。一回目に表が出て次は裏になる確率は1/4で、この時チョコレートは二個。四個の確率は1/8、八個の確率は1/16。よって期待値は
Bernoulli3.png
 となり、このゲームに参加すると平均して無限個のチョコレートがもらえることになる。
 そして授業では、このゲームへの参加権がオークションにかけられた。つまり、最も高い金額を提示した一人だけがこのゲームをプレーできる。
「落札しなければ何も起こらない、けれど落札したら七百円そこそこで無限個のチョコレートを買えるわけでしょう? 買わない手はないわ」
「理論的にはね」
「そう、理論的には」
 そして今、メリーと蓮子は現実を知っている。
「あぁ、なくなっちゃった」
 蓮子はぺろっと小さく舌を出し、コーヒーを一口飲んだ。
「七百円もするチョコレートを噛むわけにはいかないから、だいぶ長持ちしたわ」
 チョコレート自体は一個十円のものだ。それでも教授が机の上に置いたバッグから無数のチョコレートが雪崩出た時には、落札希望価格を三十円と書いて提出したメリーも得も言えぬ魅力のようなものを感じた。お菓子の家を見つけたヘンゼルとグレーテルもそんな気持ちだったのだろう。子供ならぬ現在の彼女なら、簡単に十円のチョコレートを買い漁ることができるだろう。それでも、授業開始の合図と同時に突然鞄から溢れ出したチョコレートには、非日常的な価値があった。一言で言うならメルヘンやロマンといった言葉になるのだろう。そのメルヘンやロマンが詰まった七百円のチョコレートはさぞや美味しいことだろう。それに六百九十円の価値があるかはともかくとして……。
 メリーがコーヒーを顔の近くに持ったままぼんやりとそんなことを考えていると、 
「いや、今のは良くなかったわ」
 と突然蓮子が言った。
「チョコレートを一個十円と考えた上で、ゲームの価値を考えたのだから、その結果も受け入れるべき。そう、このチョコレートは十円のチョコレート、それ以上でもそれ以下でもないわ」
 彼女はそう言い切ると、メリーの反応を待つこともなくつんと唇を尖らせ背もたれに体重を預けた。
 二人が受講している授業は、多学部にまたがる共通の教養科目として設定されている「経済学入門」。例年講義内容はいかにも「それらしい」もので、文系に配慮して計数的になりすぎることなく、理系に配慮して歴史や思想に終始しすぎることのないように組み立てられていた。そのため長く「寝ている学生に単位を配る退屈な授業」とされていたのだが、今年から講師が変わり、今までのところ彼女たちは授業中に眠らずにいた。
 それでも授業で教える内容そのものはあまり変わっていない。今では「古典」と言われるような、合理性を追求し単純化したモデルを使った経済学である。
 ……。
 メリーは、蓮子がコーヒーカップを握ったまま虚空を見つめていることに気づいた。
 蓮子はメリーの事をよく夢見がちだの起きているのか寝ているのか分からないだのと言うが、なんのことはない、彼女にだってよくこんな魂が抜けたような瞬間があることをメリーは知っている。そして、実際には魂は抜けていない、むしろ非常に凝縮されていることも知っている。多くの場合、彼女は無言でノートや手帳、それがない場合は手近な紙片に数式を書き殴り始める。蓮子の魂は十次元や十一次元の世界を旅しているのだろう。
 邪魔してもいけないだろうとコーヒーを啜る。
 ああ、蓮子の専門は超ひも理論だから、十次元か。以前彼女から少し聞いたことがある。一次元のひもと時間、八元数で合わせて十次元。
「ねえ、メリー」
 突然、蓮子の魂が三次元に還ってきた。
「なあに?」
「価値って何? 経済学って何?」

2

 マエリベリー・ハーンは静かに歩いている。
 埃っぽい図書館の中、空気は静止しているように感じられる。なるほどこの感覚は間違っていない。窓が開いていないことのみならず、ごく小さな足音しか聞こえないこの環境は、音も空気の振動であることを考えれば「空気が静止している」状態に近い。
 しかし実際には静止などしていない。この図書館はもちろん、空気があれば静止することなどありえない、いや、真空の中にあっても常に変化は起きている。ゼロの状態でも常に微小なプラスとマイナスが生まれては消えている。ただしその変化は概念でしか捉えられない。
 そんな野暮を考える蓮子とは別の世界に生きているかのように、メリーは蓮子より一歩半先を歩いている。
 舞う埃にミー散乱されながら降り注ぐ窓の光が、ゆるやかにウェーブした長い髪を照らし、淡く輝いている。静謐で、印象派の絵画のような光景。
 なんていったかな、確か手動光彩拡散とかなんとか……。

「……価値、ねえ。主流の経済学はすでに、客観的な価値というものの存在を幻想だと認めたのではなかったかしら。個々の主体を価格受容者、プライステーカーと仮定する経済学でも、それは『市場価格』であって、『客観的な価値』ではないと思うの」
 メリーは折り曲げた人差し指を顎に当てながら答えた。高校時代文系コースだった彼女は、多少経済学に関する下地がある。
 人が物を買う時、その販売価格を受け入れる。当然、物には値段が決まっている。だがそれは価格であって、客観的な価値ではない。
「でも、主観的な価値は存在するんでしょう? 科学的に追求しようとすると客観的なものさしは捨てなければいけないことはよくあるわ。私の分野では相対性理論でパラダイムシフトが起きたし、メリーのやってる相対性心理学も客観的指標でもって心理を測ることや定常状態の発想を放棄したものじゃない。でも物理学も心理学も存在し続けている」
 ここまで一息に言って蓮子は一旦息を継ぎ、
「その主観的な価値って、どこから来るのかしら?」
「『合理的経済人』にとっては、その財から得られる効用だけど、これだと蓮子の問いへの答にならないわね。価値を効用と言い換えただけだし」
「むしろ価値について考えたくないから効用という言葉でごまかしちゃったんじゃないの?」
「かもね」
 ふと会話が途切れた。蓮子の目に、見つめ返してくるメリーの金色の虹彩がやけに大きく見えて、少し慌てて目を逸らした。
 やがて、「今の経済学」にその答はないだろう、と二人は判断した。
 そこでこの問題に挑んだ足跡がどこかにないだろうかと古典を探ってみることにしたのである。そこにはもちろん、レポートに役立つかもしれないという打算もあった。しかしそれ以上に、現代では否定された思想というものは、オカルトサークルにとって心をくすぐるものである。
 古今東西の文献は既にほとんどがデータ化されていて、検索をかけることもできるが、二人はあえて図書館へ立ち寄ることにした。電子書籍の登場から既に長い年月が経ち、紙の本はあまり流通しないものになっていた。しかし電子書籍の登場当初に予想されたように完全に淘汰されることはなく、書籍を読む媒体の一つとして一定の地位を得ている。音楽の記録媒体が普及して「生の音楽を鑑賞すること」が贅沢になったように、「紙の本を読むこと」自体がひとつの趣味に昇華したのである。
 市民図書館の多くはコスト増加に耐えきれずその機能を電子図書館に譲り閉館されたが、大学図書館は博物館の機能も持って残っており、書籍愛好家たちが日々訪れている。
 その書棚の間を、二人は歩いている。

「このあたりね」
 『経済学』の棚へ差し掛かった。一連の社会科学関係の書棚の中でも他より書名に片仮名が多い。
 ちらりとメリーへ目配せすると、向こうも流し目を送ってきた。言いたいことは通じたようなので、くるりと彼女に背を向け、手前の書棚を端から眺めていく。それと背中合わせにメリーは反対側の棚を担当する。
 蔵書のほぼ全てはハードカバーで、函に入っているものも多い。それにしても本の一冊一冊で全くサイズや装丁が異なるのには驚く。そもそも文章情報を伝えるのにこんなにバリエーション豊かな装丁を用意する必要があったのだろうか? なぜペーパーバックで出版することもできるものにハードカバーを被せてみたり函に入れたりするのだろう? かつての購買者はこれを買っていたのだろうか?
 ……いや、ここにある本のほとんどはごく狭い世界の人たちがごく僅かな人達のために書いた本だろう。実際、一冊一冊がとても高価だ。装丁が豪華なのは高価である事への、何というか、礼儀のようなものだろうか? しかしこれらの本を買う人は装丁など全く気にしない、中の文章だけにしか興味がないだろう。そうした人達の本棚には大量の本を詰める必要があり、一冊一冊はコンパクトな程いいだろう。誰が望んでこれらの本はこんな硬い殻に身を包んでいるのだろう?
「あった」
 探索をさぼって思索に耽っていた蓮子のやや斜め後ろでメリーの声がした。
 棚から取り出したのは、アダム・スミスの『国富論』。原題An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations――"諸国民の富の性質と原因の研究"。
「うわあ、ごっつい本。これを借りて持って帰った昔の学生は根性があったんでしょうね」
「館内だけで閲覧させるためにこんなに重たくしたんじゃないの?」
 なるほど、それがあったか。
 ――軽口を叩きながら閲覧コーナーへと本を運ぶと、二人は目次を開いた。

             *       *       *

続きは製品版で!
扉絵_秘封s
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